♪♪ヨハネ受難曲第1曲"Herr, unser Herrscher"のテナー・パートについて♪♪
ヨハネ受難曲は1724年の第1稿、1725年の第2稿、1732年の第3稿、1739年の未完のスコア、1749年の第4稿と変更されました。
第1曲の"Herr, unser Herrscher"は、第2稿ではマタイ受難曲の第1部の終曲のコラール "O Mensch, bewein dein Sünde groß"のコラールに切り替えられ、第3稿からは第1稿に戻されたと認識していました。したがって第1稿、第3稿、第4稿は同じものと決めつけていました。第4稿による演奏をCarusから出版されている第4稿(1749年)の楽譜で見ていたところ、21小節から22小節のテナーのパートがBärenreiterの楽譜と異なっているのに気が付きました。
Bärenreiterの楽譜
Carusの第4稿の楽譜
なぜ違うのかを考えてBärenreiterの楽譜のappendixに初稿の1番から10番の楽譜が掲載されているので調べてみると、この部分がCarusの第4稿の楽譜と同じになっていることがわかりました。
第3稿と第4稿の間の未完のスコアとよばれる1稿をベースに細かな変更しながら1番から10番まで書き上げられたところで事情により中断され、最後まで完成しなかったものですが。Bärenreiter版は1番から10番この未完のスコアに基づき、11番以降終局までは第1稿に基づき編集されてました。
ところが、第4稿は1746年から49年にかけてバッハと弟子との共同作業で完成した総譜ですが、1番から10番については第1稿に立ち返るかたちがとられたようです。
このため、第1番の合唱のほか第3番、5番のコラールも未完のスコアベースのBärenreiter版と第1稿ベースの第4稿のCarus版の相違であることが分かりました。
Bärenreiter第3番コラール
Carus版(第4稿)の第3番コラール
♪♪ヨハネ受難曲第1曲"Herr, unser Herrscher"について♪♪
ヨハネ受難曲の第1曲は1724年の初稿ではベーレンライター版に記載されているフルートを伴うものではないと言われています。また1725年の演奏ではこの曲ではなく後にマタイ受難曲の第1部の終曲であるコラールに切り替えられますが、1732年の第3稿ではフルートが付け加えられて現在に至っています。
したがって、第2稿を使用したとの表記がある演奏(例えばヘルヴェヘの1,998年録音盤)では最初に聞こえる曲がマタイ受難曲の第1部の終曲のコラール "O Mensch, bewein dein Sünde groß"となりますので、ベーレンライターの楽譜で曲を知っている人にとってはびっくりすることになります。
ところで、第1稿も含め第3稿・第4稿に基づくベーレンライター版やカールス版の第1曲は"Herr, unser Herrscher"のダ・カーポ形式の曲となりますがこの曲のダ・カーポを含んだ小節数の153小節に意味があると提唱したのがバッハのカンタータやミサ曲、受難曲の研究家のフリートリヒ・スメントでバッハがカバーラに基づいた数字象徴の曲を数多く作曲としています。例えば3は三位一体、4は大地または四方、7は1週間や天地創造、10は律法、十戒などです。153と言う数字は1から17の数字を足した数字で17は10と7に分けられさらに7は3と4に分けられるので153に意味があると言うのです。
また、153と言う数字はヨハネ受難曲に用いられた福音書の18章1節の裏切りから19章42節の埋葬の後、イエスの復活を扱った21章でティベリアス湖畔に現れたイエスが弟子たちに「子たちよ、何か食べる物があるか」と問い弟子たちに網をうって漁をしなさいと言い弟子が網を打ち引き上げると153匹の魚が網の中にあったとくだりが書かれています。この153匹と言う数字と第1曲の小節数が153であることにバッハは意識して153小節でこの第1曲を書いたとも言われています。
ヨハネによる福音書21章
1: その後、イエスはティベリアス湖畔で、また弟子たちに御自身を現された。その次第はこうである。
2: シモン・ペトロ、ディディモと呼ばれるトマス、ガリラヤのカナ出身のナタナエル、ゼベダイの子たち、それに、ほかの二人の弟子が一緒
にいた。
3: シモン・ペトロが、「わたしは漁に行く」と言うと、彼らは、「わたしたちも一緒に行こう」と言った。彼らは出て行って、舟に乗り込ん
だ。しかし、その夜は何もとれなかった。
4: 既に夜が明けたころ、イエスが岸に立っておられた。だが、弟子たちは、それがイエスだとは分からなかっ た。
5: イエスが、「子たちよ、何か食べる物があるか」と言われると、彼らは、「ありません」と答えた。
6: イエスは言われた。「舟の右側に網を打ちなさい。そうすればとれるはずだ。」そこで、網を打ってみると、魚があまり多くて、もはや網
を引き上げることができなかった。
7: イエスの愛しておられたあの弟子がペトロに、「主だ」と言った。シモン・ペトロは「主だ」と聞くと、裸同然だったので、上着をまとっ
て湖に飛び込んだ。
8: ほかの弟子たちは魚のかかった網を引いて、舟で戻って来た。陸から二百ペキスばかりしか離れていなかっ たのである。
9: さて、陸に上がってみると、炭火がおこしてあった。その上に魚がのせてあり、パンもあった。
10: イエスが、「今とった魚を何匹か持って来なさい」と言われた。
11: シモン・ペトロが舟に乗り込んで網を陸に引き上げると、百五十三匹もの大きな魚でいっぱいであった。それほど多くとれたのに、網は破
れていなかった。
12: イエスは、「さあ、来て、朝の食事をしなさい」と言われた。弟子たちはだれも、「あなたはどなたですか」と問いただそうとはしなかっ
た。主であることを知っていたからである。
13: イエスは来て、パンを取って弟子たちに与えられた。魚も同じようにされた。
14: イエスが死者の中から復活した後、弟子たちに現れたのは、これでもう三度目である。
♪♪ヨハネ受難曲のコラールについて♪♪
ヨハネ受難曲はの楽曲はヨハネによる福音書にしたがって物語を進行する福音史家・イエス・ピラトなどの登場人物によるレチタティーブと群衆の合唱、一方自由詩によるアリアおよび大きな合唱曲と信仰に対する信条など表現するコラールによって構成されています。 コラールは中世から歌い継がれた聖歌などがルターによる宗教改革によりドイツ語の歌詞をつけたり、新たに作曲がされ讃美歌集が作られ教会で歌われていました。バッハがとヨハネ受難曲で用いたコラールがどのようなルーツを持つものなのかを理解することもヨハネ受難曲を演奏する上で必要なことではないかと思っています。
第3曲 "O große Lieb, o Lieb ohn alle Maße"「おお、大いなる愛、はかり知れぬ愛よ」
この、コラールはヨハン・ヘールマンの15節から成る受難コラール""Herzliebster Jesus, was hast du verbrochen," 「心より愛しまつるイエスよ、どんな罪を犯されたのでしょうか」から第7節をテキストとして使用し。旋律は16世紀から伝えられた古い旋律を元にヨハン・クリューガーが整理まとめたものです。バッハはこの第3曲の他、ヨハネ受難曲では第17曲のコラールで8・9節使用したほか、マタイ受難曲でも第3番のコラールで第1節、第19曲のレチターティーボとコラールで第3節、第46曲のコラールで第4節を使用しています。受難コラールとして書かれたものを2つの受難曲に多く使用したことは当然とも考えられますが「ヨハネ」「マタイ」の第3曲目にヘールマンの受難コラールを使用していることはバッハのこの受難コラールの思いれを感じます。
第5曲 "Dein Will geschehen, Herr Gott, zugleich Auf Erden wie im Himmelreich"
「 主なる神よ、天におけるように地においても御心が行なわれますように」
「主の祈り」に基づいてルターが作った全9節からなるコラール"Vater unser Himmelreich"「天にましますわれらの父よ」の第4節を使用しています。バッハはカンタータ101番、オルガン曲のオルガン小曲集(オルゲル・ビュヒライン)のBWV636、21のコラール前奏曲に含まれるBWV682/683、27のコラール編曲に含まれるBWV737、25のコラール編曲に含まれるBWV762に使用されています。この第5曲のコラールは未完のスコアと呼ばれる改訂が行われた際、ソプラノに経過音の挿入や、アルトパートのgeschehの言葉に動き加えるなどの改定を行いました。第1稿で演奏されたフェルトホーフェン、2稿で演奏されたヘレヴェッヘの演奏では改訂前の状態、未完のスコアを反映した版での演奏(リヒター、ガーディナーなど)は改訂後、しかし未完のスコアの内容を反映していると思われた4稿での演奏(鈴木、ラーデマン)では改訂前に戻っていました。大きな改訂内容を見るとこのような経過音の挿入などの記述はないのですが細かいところで変更がされているようです。
第11曲 "Wer hat dich so geschlagen"「我が救い主よ、誰があなたをそのように打ったのですか。」
このコラールはハインリッヒ・イザーク作曲したと言われている「インスブルックよ、さらば」の旋律を用いテキストとして第3・4節を使っています。調性は違いますがマタイ受難曲の第37曲でも同じこの第3節を用いています。いずれも、大祭司の尋問中にイエスが殴打される場面にこのコラールが歌われます。その他マタイ受難曲では第10曲のコラールで第5節を使っています。
第14曲 "Petrus, der nicht denkt zurück, Seinen Gott verneinet"
「ペテロは主の言葉を思い出すこともなく彼の神を否定してしまった。」
ヨハネ受難曲の第1部を締めくくるこのコラールはヨハネ・コラールと呼ばれています。パウル・シュトックマンの受難の出来事すべてを含む34節からなるコラール"Jesu Leiden, Pein und Tod"「イエスの受難・苦痛・死は」の第10節をテキストとして使用しています。旋律はメルヒオル・ウルビウスの美しい宗教歌曲集からとられた物だと言われています。ヨハネ受難曲では第28曲のコラールで20節を、第32曲のバスのアリアの中で歌われるコラールでは34節が使用されています。
第15曲"Christus, der uns selig macht"「私たちを幸いにして下さるキリストは」
第2部の開始となるこのコラールは中世のエギディウスによる受難詩「父の知恵」"Patis sapientiae"が元になり、ミヒャエル・ヴァイゼによってドイツ語コラールとなりました。オリジナルの旋律はプレトリウス作と言われていますが、奇数節と偶数節での韻律の違いがあって音楽として成り立たせるため色々な試みがされたようです。バッハはトマス教会の先輩カントルのカルヴィジウス作に依拠してこのコラールを成立させたと言われています。
第17曲 "Ach großer König, groß zu allen Zeiten"「ああ偉大な王よ、いつの世にも偉大なる王よ」
このコラールは第3曲のコラールと同じくヨハン・ヘールマンの15節から成る受難コラール""Herzliebster Jesus, was hast du verbrochen," の8・9節テキストとしています。第3曲のト短調に対してイ短調に変更されています。
第22曲 ”Durch dein Gefägnis, Gottes Sohn”「神の御子よ、あなたが捕らわれたことにより」
このコラールのテキストは既存のコラール集から採られたものではなくクリスティアン・ハインリヒ・ポステルのアリア詩をヨハン・ヘルマン・シャイン作詞・作曲のコラール「神は、あなたの悲しみによって私を扱って下さい」にテキストを当てはめています。
バッハの研究家フリードリヒ・スメントは、このコラールがヨハネ受難曲の構成の中心にあり曲目の配置がシンメトリーになっていると主張しています。
第26曲 "In meines Herzens Grunde"「わたしの心の奥底には」
このコラールはヴァレーリウス・ヘルベルガ―作詞メルヒオル・テシュナー作曲による"Vater will ich dir geben"「別れの言葉を与えよう」の第3節を用いています。
第28曲 "Er nahm alles wohl in acht In der letzten Stunde"
「 主は最期の時に臨んでも全てのことに心を配られた。」
第1部を締めくくった第14曲の作者パウル・シュトックマンの"Jesu Leiden, Pein und Tod"「イエスの受難・苦痛・死は」の第20節をテキストしています。
第32曲 "Mein teurer Heiland"「尊い救い主よ、お尋ねしてよろしいでしょうか」
この曲のテキストはバス・アリア部分とコラール部に分けられます。コラール部分は第14曲・28曲のコラールと同じで"Jesu Leiden, Pein und Tod"「イエスの受難・苦痛・死は」の第30節をテキストとしています。アリア部はバッハの受難曲の作曲に大きな影響を与えた「ブロッケス受難曲」に基づいている言われています。
第37曲 "O hilf, Christe, Gottes Sohn, Durch dein bitter Leiden"
「神の子キリストよ、助けてください、あなたの痛ましい受難の力によって」
第2部の冒頭のコラール、エギディウスによる受難詩「父の知恵」"Patis sapientiae"に基づいてミヒャエル・ヴァイゼによってドイツ語コラールの最終節をテキストとしています。15番のコラールはイ短調で書かれていますが37曲は半音高くなっています。イ短調に対して半音高くなれば、♭5つの変ロ短調になります。ところがバッハは♭3つのハ短調で記譜してDおよびGに♭をつけています。これには、バッハのこだわり♭3つで三位一体を表すと言うこだわりがあると言われています。
第40曲 "Ach Herr, las dein lieb Engelein"「ああ 主よ、あなたの愛する天使を遣わされ」
このこのコラールは、第1稿で使用されたものの、1725年2稿では別のコラールに変更され、第3稿では削除され、第39曲の合唱曲が曲全体の締めくくりとなり、未完のスコア・4稿でもとにもどされた経緯があります。最終的にヨハネ受難曲を締めくくることについては「ブロッケス受難曲」の影響があると言われています。
テキストはマルティン・シャリングのコラール"Herzlich lieb hab ich dich, o Herr"「心から私はあなたを愛します。おお主よ」の第3節が使われています。シャインのコラールをバッハはカンタータ174番に1節、第149番で3節が使われています。また、オルガン曲ではC.P.E.バッハが編集したコラール集に含まれるBWV340、ノイマイスター・コラール集に含まれるBWV1115で使用しています。
これをまとめる当たり、バッハ研究で高名で2018年に不慮の事故でお亡くなりなった磯山雅さんが書かれた「ヨハネ受難曲」を参考にまとめさせていただきました。
♪♪ヨハネ受難曲の楽譜の変遷(稿)と版について♪♪
ヨハネ受難曲はバッハがライプツィヒのトマス教会カントルに赴任してから初めての受難節に作曲され聖金曜日の1724年4月7日に聖ニコライ教会で初演されました。この演奏会で使用された楽譜が第1稿と呼ばれています。
以降、受難曲はバッハが亡くなるまで次のように演奏され、都度楽譜の変更ました。
1725年 トマス教会 第2稿
1732年 ニコライ教会 第3稿
1749年 ニコライ教会 第4稿
また、1739年に未完のスコアと呼ばれるスコアの清書を行いますが、10曲の清書を行った時点で、計画していた演奏会が中止になったことにより清書も中断してしまいました。
第1稿
現在演奏されている形とほぼ変わりませんが、使用楽器の異なり、33曲のレチタティーボはマルコによる福音書の「神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂けた。」が用いられマタイによる福音書の「地震が起こった」は使用されませんでした。
ただし、第1稿の楽譜はパート譜が残されており、完全な形での楽譜は残されていません。この第1稿を再現すべく音楽学者が復元作業を行い。ヨス・ファン・フェルトホーフェンの2004年に録音したものはPieter Dirksenが復元した第1稿に基づいて演奏されています。
第2稿 1725年
第2稿は当初「マタイ受難曲」を演奏する予定だったものの作曲が間に合わないという事情で作曲されたと言われています。
第1曲 後にマタイ受難曲の第1部の終結コラール"O Mensch, bewein' dein Sünde groß"に変更
第11曲の後に バスのアリアを追加
第13・19曲 テノールのアリアを別の曲に変更
第33曲 レチタティーボのテキストを現在の形のマタイによる受難曲の27章51-52
に変更
第40曲 コラールを変更(現在カンタータ23番の終曲のコラール)
第2稿はカールスから出版されており、フィリップ・ヘルヴェへの2度目の録音がこの楽譜を使用しています。
第3稿 1732年
1732年の演奏に当たり教会からの指摘などで次のような変更を行っています。
第1曲 第1稿の "Herr, unser Herrscher"に戻されます。
第12曲 12Cのペテロの否認後のマタイによる福音書の引用をカット
第33曲 マタイによる福音書の引用をカットしシンフォニアに変更
第34・35曲 テノール・ソプラノのアリアをカット
第40曲 終曲のコラールをカット
マタイによる福音書の引用をカットしたのはヨハネによる福音に基づかないヨハネ受難曲にならないと言うような教会の指摘が推測されます。
この3稿による楽譜や演奏はありません。
未完のスコア
1739年に再演を計画しスコアの清書を行っていましたがライプツィヒの市から演奏会中止を要請され第1曲から10曲までで中断しました、
後に清書は弟子によって第11曲以降終曲までの清書が行われました。
第9曲 後奏を短縮
第12・33曲の マタイの引用を復活
第40曲 第1稿のコラール"Ach Herr, lass dein lieb Engelein"に戻す。
第4稿 1749年
1749年ニコライ教会での演奏を機に未完のスコアより
第9曲 後奏を元に戻す。
第9・19・20曲 アリアの歌詞を変更
第4稿による楽譜はカールスより出版され、鈴木雅明(BCJ)、ハンス・クリストフ ラーデマン(ゲンヒンガー・カントライ)による演奏がCDで出ています。
新バッハ全集によるベーレンライター版
アーサー・メンデル Arthur Mendelの校訂によって1974年に新バッハ全集として出版された楽譜は、10曲目までは「未完のスコア」を採用し、それ以後の曲は適宜別の「稿」のものが用いられています。付録として、第2稿の変更された楽譜および第4稿の情報が掲載されています。
多くのヨハネ受難曲はこの楽譜によって演奏されています。ヘルヴェッヘは最初の録音でこの楽譜を使用しており、最近リリースされた新録音でもこの楽譜が使用されているようです。
旧ナッハ全集による楽譜
1863年にヴィルヘルム・ルスト Wilhelm Rustの校訂で出版され、「未完のスコア」を忠実に再現したもので、新バッハ全集とは曲の番号のふり方が異なっています。1974年以前に録音されたカール・リヒターの演奏はこの楽譜に基づいたものです。
新バッハ全集による楽譜とは詳細において異なる部分がありますが大きな違いがありません。
♪♪ヨハネ受難曲の中のマタイによる福音書♪♪
バッハのヨハネ受難曲はヨハネによる福音書の第18章と19章をベースに作曲されています。ところがペテロの否認の箇所12番Cのレチタティーボとイエスの死を描いた33番のレチタティーボでマタイによる福音書をテキストとして採用しています。
ヨハネによる福音書ではペテロの3度目の否認し鶏が鳴いた後、イエスはカイアファの所から総督官邸に連れて行かれたと記述されており、淡々と非常にさらっとした記述になっています。バッハは12番Cレチタティーボで下僕がイエスとペテロが一緒にいたことを告発した後、マタイ福音書の26章74と75をテキストとして用いました。
Da verleugnete Petrus abermal. und alsobald krähete der Hahn.
Da gedachte Petrus an die Worte Jesu und ging hinaus und weinete bitterlich.
ペトロは再び否認すると、鶏が鳴いた。それからペテロはイエスの言葉を思いだし、
外へ出て行き、激しく泣いた。
ここの音楽は半音階の下降を使用しペテロの慟哭の様子を描写したかのような音楽になっています。バッハはペテロの否認に格別に感情的な表情が必要と考えマタイによる福音書が必要としたのかもしれません。
33番のレチタティーボでは全てマタイによる福音書の27章51と52節をテキストと使用しています。
Und siehe da, der Vorhang im Tempel zerriß in zwei Stück von oben an bis unten aus.
Und die Erde erbebete, und die Felsen zerrissen, und die Gräber täten sich auf,
und stunden auf viel Leiber der Heiligen.
そのとき、神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂け、地震が起こり、岩が裂け、
墓が開いて、眠りについていた多くの聖なる者たちの体が生き返った。
ここでは2オクターブの16分音符の下降音を使い天変地異を表す音楽を表現しています。
ヨハネによる福音書はイエスの死に関して19章30節で
イエスは、このぶどう酒を受けると、「成し遂げられた」と言い、頭を垂れて息を引き取られた。
と簡潔に記述されています。マタイによる福音書はイエスが「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」と言葉を発し死に至った直後に、天変地異が発生したことを記述しています。バッハはマタイによる福音書の27章51・52節を用いることによりドラマティックな表現をしようとしたのではないか考えられます。
★ 今年も12月7日(土)にクリスマスコンサートを開催いたします。
11月14日現在、チケットは完売いたしました。